1963-06-20 第43回国会 参議院 文教委員会 第26号
千載不磨の法典といわれた憲法が、どうして一体改められたかという理由が、また教育についてみれば、そういう憲法のもとで行なわれた教育が、少なくともこの憲法の中に書かれておる政府の行為によって戦争の惨禍を招くというような、そういう問題を——そういう教育の一体問題点を除去するような立場に立って、今の教育が行なわれておると私は思う。
千載不磨の法典といわれた憲法が、どうして一体改められたかという理由が、また教育についてみれば、そういう憲法のもとで行なわれた教育が、少なくともこの憲法の中に書かれておる政府の行為によって戦争の惨禍を招くというような、そういう問題を——そういう教育の一体問題点を除去するような立場に立って、今の教育が行なわれておると私は思う。
それですから重苦しい事実の空気のもとにおいても、それでも心からこれがもう千載不磨の憲法だと、こう考える人もありましょうし、いろいろな意見があるでありましょう。とにかく重苦しい空気の間にこれが制定されたということは、これは事実でございますから、独立を回復いたしましてから、もう一ぺんこれに対しての再検討をするということは私は差しつかえないと、こういうふうに私も考えております。
岡野文相は又過般の衆議院予算委員会の席上で、教育勅語を千載不磨の法典であると礼讃している。併しながら、「一旦緩急アレハ義勇公二奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」との勅語の中心眼目を一体何と解釈するのであるか。これこそは肉弾への道であり、我々の愛する青少年を再び特攻隊として、いや、外国の弾よけとして人身御供に供するところの卑劣なる策謀であります。
○北委員 憲法はそういう不都合のものならばかえる準備をして、それがために国会の三分の二の賛成を得て、国民投票できまる、昔の明治憲法のような天皇に改正の発案権がある千載不磨の大典ではない。どうせアメリカが日本にこしらえてくれたのだから、日本に不都合ならどんどん直すのがあたりまえである。これをいつまでも守つておる気持が私にはわからない。